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#主に購読用の買い物と旅行、主に購読用的な生活について書きます。

イングランド・ルール(その12 ロンドンの灯)

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ザハリントンの屋根裏に荷物を置いた私たちは荷解きもそこそこに近くのスーパーへ向かった。グロスターロード駅近辺にはウエイトローズとテスコエクスプレスがある。

前回も今回も、テスコエクスプレスは深夜の買い物かドリンクのみの時、深夜とドリンク以外に用がある時はウエイトローズを利用していた。

土産物もこのウエイトローズで購入した。

uk-stores.worldorgs.com

初日はこのウエイトローズで翌朝の食材を購入した。

たぬさんは普通に袋を貰おうとしていたが、私はそれを制した。

訪問したのは2019年だったが、ロンドンではすでにビニール袋は有料だった。

私はベルトコンベアで流れてくる品物をマイバックに詰めていった。

買い物を終え、屋根裏に戻った。

屋根裏で寛ぎながらスマホにロンドンの配車アプリをインストールした。

少し落ち着いたところで、夕食をどうするかと言う話になった。

私は吉野家でも楽しめるのだが、同行のたぬさんは不味いと海原雄山並に不愉快な態度を示すので、彼女の責任で店を選んでもらうことにした。

私から出した条件はパブであること。

そもそもイギリスの食事というのは、美味しいものが少ない(と言われている)、パブならある程度、料理の内容も味も予測がつく。

多少歩いても良いと思っていたが、たぬさんが選んだのは宿から一番近いThe Hereford Armsだった。

www.tripadvisor.co.uk

前回のロンドン訪問では混雑していて入れなかった。

この店に入れなかったら順次、次に近いパブへ向かうということにした。

部屋を出て、油圧エレベータを待ったがなかなか来ない。

仕方がないので階段で降りることにした。

パブへは3分もしないで到着した。

私はフィッシュ&チップスとそこそこ冷たいビールがあればよかった。

この店、雰囲気がよく、料理の提供も早かった。

だが、虫がぶんぶん飛んでおり、あまり落ち着かなかった。

長いフライトの疲れもあり、料理を2,3点とビールを二人で3,4杯飲み、小一時間ほどで出てきた。

屋根裏に戻り、シャワーを浴び、冷蔵庫からさっきスーパーで買ってきたビールを出し、テレビをつけた。

BBCは飛ばし、ITVにチャンネルを合わたところ、名探偵ポアロをやっていた。

この日は金持ちの奥さんが旦那を殺すという話だった。

最後まで見ていてもよかったが、あらすじを説明して、テレビの音は消し、

明日は何をしようか、そんな話をしているうちにロンドンの夜は更けていった。

青椒肉絲のクルマ遍歴0.999

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「家を買うたぬ〜」と言い出したたぬさんだったがなにかアテがあったわけではなかった。

色々不動産会社を周り、マンションを見た。

当時はリーマンショックの最中で、なかなか良い都心の中古物件がまあまあがんばれば買えそうな値段で出ていた。

当時住んでいた賃貸マンションの近くで中古の元億ションを見た時、これでいいかな、という気がした。

地下ではあるが、広々しており、交通至便で静か、私はかなり乗り気になった。

たぬさんも乗り気の様子で色々と営業担当の人に質問をしていた。

その質問の中で、

「この広いポーチでバーベキューはできますかたぬ?」

のようなことを尋ねた。

営業担当者は、規約上無理です、と答えた。

私はこの時に初めて、彼女がバーベキューのために、自宅を購入したいのだと知った。

たぬさん、マンションで炭火を起こしてバーベキューはできないよ、でもマンションはいいでしょ、とやさしくささやいた。

しかし、彼女は

「バーベキュー、バーベキュー」

と言うだけだ。

仕方がないので、当時の住まい近隣やそのほかの都心エリアで戸建て用の土地を探した。

私たちの予算ではまともな平地は紹介されず、崖地ばかりだった。

こんなところ、どうやって資材を運び込むんだ?大雨や地震が来たら地面ごとずり落ちないか?そんなことを連想する土地ばかりだった。

ここへきてようやく、我々の経済力では都心にバーベキューができる家を持つことはできないことがわかった。

私は当時、仕事が忙しかったこともあり、そろそろ自宅は諦めて当面、賃貸マンション暮らしをしたらどうか、と思い始めていた。

詳細は省くがたぬさんが狸的執念で郊外に土地を見つけてきた。

羽田にも新幹線にも便利な場所で、日当たりも良い、ローン審査はこの物件を見つける前に通っていた。(詳細は省く)

詳細は省くがここにたぬさんの風雲たぬき城は着工となった。

念願の自宅バーベキューがいつでもできるメドは立ったのだが、旅先でもバーベキューをしたいと言うニーズがあり、城からバーベキュー会場へのたぬさん+バーベキュー道具運搬手段を捜すことになった。

当初、私はなるべく同じ車種を長い期間、経済的に乗りたいと考え、

トヨタカローララグゼール

スズキキザシ

の2車種を候補にした。

しかし、たぬさんが外車もみたいと言い出し、

フォルクスワーゲンの試乗をしてみた。

ジェッタを試乗した、私は非常に気に入った。

しかし、たぬさんは

「顔がブタみたいでたぬっとしていない」

と言う理由でフォルクスワーゲンジェッタは却下となった。

個別のデーラーへ行くのは面倒になったので、ヤナセに試乗を申し込むことにした。

最初に乗ったのはアウディA3だった、がこれはバーベキューグリルが積めないのでたぬさんが却下。

その後、アウディA4を見たが、これは取り回しが面倒で私が却下。

あとはベンツかスマート、キャデラックに乗るかどうか話していたところ、たぬさんが、

「あの青い車に乗りたい」

と言った。

それは、サーブ93のセダンだった。

www.webcg.net

乗ってみるとなんの変哲もないFFセダンなのだが、カップホルダーがせり出してくる動きがユニークなことと、ウィンカーの音が動物の鳴き声に似ていた。

ヤナセの人によると、ウィンカーの音は眠くならないよう設計されており、鋼材は北欧の物を使用している、とのことだった。

風雲たぬき城完成の折には、商談を実施することにした。

www.motordays.com

が、その後、折りからリーマンショックでサーブの親会社であるGMが経営破綻し、サーブは身売り先を捜すことになった。

サーブと同じスウェーデンボルボはフォードの子会社だったが中国の会社への売却が決まった。

サーブの売却先はなかなか見つからなかったが、オランダのスーパーカーメーカーが名乗りを上げ買収することになった。

しかし、ヤナセが輸入代理店を降りることになった。

その直後、在庫のサーブが投げ売りされ始めた。

技術的にもブランドイメージとしてもボルボに比べて革新性が薄いサーブの将来に不安を感じ、私からサーブ93購入は却下とすることにした。

その後、サーブブランドは消滅することになる。

サーブに決まりかけた時点では、トヨタとスズキの試乗は行っていなかった。

サーブに変わる候補を探すべく、トヨタとスズキに試乗を申し込んだ。

トヨタカローララグゼールは試乗することはできず、自然消滅。

www.webcg.net

スズキは、営業担当も店舗も高級車を販売するようなスタイルではなかった。

当時スズキはフォルクスワーゲンとの提携を発表していたが、軽自動車の波打つ屋根形状を見る以前に、キザシの座席が皮張りなのに旧国鉄湘南色電車のL型シートレベルの座り心地で以前試乗したジェッタとは雲泥の差であることから、この提携がうまく行く気はしなかったし、キザシを購入する気もすっかり失せた。

www.webcg.net

帰りにジムニーの試乗を申し込んでいたが、営業担当の人はアルトも変わりませんよ、と言い、アルトを試乗して戻ることになった。

そもそも試乗申し込みができないトヨタ、イケてないスズキでがっくりきた私たちはクルマ選びを一旦中断し、新居に設置する家具選びを優先することにした。

イングランド・ルール(その11 らりるれロンドン)

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ヒースロー空港の地下鉄駅はシックな感じがした。

薄暗いや薄汚い、とは違った。

以前にも書いたが、今回はVISAコンタクトレスで入場した。

携帯のSIMは日本から持ち込んだものを挿入した。

前回は空港の手荷物受け取り場の自動販売機で購入したのだが、それが3,000円ほどしてあまりお得感がなかったのだ。

Amazonでの購入は、K部JT郎氏のブログを参考にした。

flyflyhigh.net

懇切丁寧でわかりやすい記述で助かった。

空港に到着してSIMを挿したのだが、アクティベートができない。

色々試したが全くダメだ。

地下鉄に乗っている間、ずーっと色々やったがダメだった。

その間、地下鉄は地下鉄と言いながら地上を走り続ける。

各駅停車の上、第三軌条方式だからかさほどスピードも出ない。

30分以上は乗車しただろうか、私たちを乗せた地下鉄は宿があるグロスターロード駅に着いた。

空港からの地下鉄のホームはかなり深いところにある。

もちろんエスカレーターはない。

私はそこそこ大荷物できたので四苦八苦しながらスーツケースを持ち上げて進むが、忍者並みの荷物しか持ち歩かないたぬさんは、スタスタと上がっていく。

たぬさんは1泊程度の荷物だと、弁当箱1個分くらいに荷物をまとめて出かけてしまう。

今回もスーツケースではあるが、なかみはスカスカでお土産用に空けてあるのだ。

宿のチョイスはたぬさんが行った。

ザハリントンというサービスアパートメントが今夜の宿だ。

www.tripadvisor.com

前回はイビスだったので、全く大違いだ。

omonikoudokuyou.hatenablog.jp

もちろん、イビスも提案したがたぬさんが却下した。

たぬさんはここでも「アップグレード」を期待していたが、残念ながらアップグレードはなく、最上階の屋根裏の様な部屋に通された。

エレベーターはいかにも後付けの油圧式で狭い上にヨロヨロと上がっていく感じだった。

それ以外はさほど不満はなかった。

私たちは部屋に荷物を置いて、近くのスーパーへ探索がてらドリンクなど仕入れに行くことにした。

 

青椒肉絲のクルマ遍歴0.99

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営業車を失ったあと、私の移動車はタクシーがメインになった。

地方出張でもタクシーは貴重な足だったのだが、とある流通関係の会社に転職した時、関東近県への視察が増えた。

最初は電車とタクシーの組み合わせだったが、会社負担とはいえ立替えがかなりの額になり私の家計を圧迫し始めた。

また、土日に複数の拠点を回るのには非効率になっていた。

当初、平日に約束がある場合は以前と同じく公共交通で移動することにして、土日の移動はレンタカーがメインとすることにした。

これが、地方出張が嵩んできて、地方でもレンタカーを利用することになる。

最初の時期、レンタカー会社はニッポンレンタカーをよく利用していた。

あっという間にプレミアムステータスにアップグレードしたのだが、良いクルマに当たることが少なかった。

当時は、麻生内閣の「1,000円高速」が行われている時期で、猫も杓子もレンタカーで週末は移動することが増え、クルマの扱い方を知らない人も多くがレンタカーを利用していたようだ。

営業所の数では当時も今もニッポンレンタカーは一定のアドバンテージを持っているのだが、凹んだりホイルキャップが外れていたりし、それが元か、店頭でお客さんと店員さんが揉めていたりと、時間的にも気分的にも良くない状況となっていた。

私は徐々にトヨタレンタカーにメインを変更し始めた。

これも当時の話だが、トヨタレンタカーは割引が少なく、ニッポンレンタカーのように価格優先でクルマを借りる人が少なかった、と思う。(あくまで私の主観だが)

トヨタレンタカーでよく借りたのは、ベルタとIQだ。

IQは一人の時に、ベルタは二人以上の時に借りた。

ja.wikipedia.org

IQは小回りが効く割に長距離でも疲れにくく、また狭い道もスイスイと進めた。

ベルタはグレードの割に車内が広く、まあまあ長距離でもそれなりには走れた。

トヨタレンタカーでも早々にグレードがアップし、地方空港の営業所で借り出す時はカローラにアップグレードされることが多かったが、私はカローラよりもベルタの方が気に入っていた。

ベルタとほぼ同型のトヨタヴィオスをタクシーとしてジャカルタでみた時はなんだか嬉しい感じがした。

プライベートの旅行でもベルタをよく利用した。

仕事の時は毎時00分ヘッドで予定を組んで移動するのだが、悠久の時が流れているたぬさんとのドライブだとそのようなダイヤ通りの移動とはいかない。

帰り道の頃には、予定はズタズタに遅れ、さらに渋滞に巻き込まれてしまい、レンタカー返却時間との勝負になり、ギスギスした雰囲気になることが多かった。

当時は比較的都心の賃貸マンションに住んでいたので、1ヶ月数万円もする月極駐車場を借りてまでマイカーを購入する気にはなれなかった。

ギスギスは当面覚悟と考えていた時にたぬさんが、

「家を買うたぬ〜」と言い出した。

基本的にマンション派である私は、家=マンションと考えていたので、この時にはマイカー購入まで想像することはなかった。

www.webcg.net

青椒肉絲のクルマ遍歴0.9

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営業車のワゴンRを降りた後、私は東京へ向かった。

東京の会社へ転職したのだった。

東京なんて右も左もわからない。知り合いの不動産会社の人に紹介してもらうまま、葛西の物件に落ち着いた。

東西線の混雑が想像を絶するもので、初日からヘトヘトになってしまった。

私が入社した会社は銀座にある会社だった。

定期券は新橋までだったが、いつも銀座で下車して会社まで歩いていた。

日産ビルから松坂屋の前を通り、工事中の交詢社ビルを見ながら出勤した。

東西線の押し合いへし合いでくたびれた心が少し落ち着く気がした。

朝の銀座は人通りもクルマも少なく、街全体が開店前のような風情で、ゴミを漁るカラスだけがその鋭い眼光を巡らせて活発に動いていた。

東京へ来て驚いたのは、どこまで行っても待ちが続くことと人の多さ、そして、カラスの毛並みが良く大きいということだった。

鳩はなんとなく全国共通な気がするが、カラスに関しては東京が一番毛並みも大きさも秀でていると思う。

食べ物がいいのか、育ちがいいのかそれはわからないが、東京のカラスには刃向かわないようにしようと上京早々、心に誓ったのは覚えている。

そんな東京生活で私の愛車になったのは、タクシーだ。

特に好きだったのは国際自動車のセドリックだ。

当時はまだジャパンタクシーは存在すらしなかったし、クラウンコンフォートも出始めで、セドリックもクラウンも居住性においてはさほど変わらなかったのだが、乗り心地に関してはセドリックの方が上に感じた。

クラウンはコンフォートになってからもそうだが、後部座席が酔いやすいという印象がある。

国際自動車のセドリックは濃紺ですっぽりと籠るような座席が低めで、通行人や他の車との視線が合わない感じが良かった。

MKタクシーのセドリックも高出力のエンジンを積んでいて好きだったが台数が少なくてまず当たらなかった。

当時はまだタクシーが全車禁煙になっておらず、黒タクシーだけが全車禁煙車で、カラフル車は喫煙、個人タクシーはまちまちだった。

ある時、築地で拾った国際の紺セドリックに乗った際、禁煙車のはずなのにタバコ臭かった。紺セドリックも禁煙の筈だ。なぜタバコ臭いか聞いたら、直前の客が女子ゴルファーのMと広告会社Dの社員でその社員の方が窓を開けタバコを吸っていたそうだ。

「本当に態度の悪い連中でしたよ、でもIちゃん(M)は本当に礼儀正しくていい人でしたよ〜」

あははは、と相槌を打ちつつ、タクシーでの態度は気をつけようと再認識したものだ。

他にもお台場のテレビ局社員の態度がどうの、などタクシーではいろんな会社の社員の評判を聞いた。

だが、いい評判の会社員話は聞いたことがなかった。

結婚した後、別の会社で勤めていた際にもタクシーはよく利用した。

その当時の勤務先は顧客が全て東京都内にはなく、郊外か地方だった。

地方出張はだいたい飛行機になる。タクシー代には甘かったが、宿泊にはなぜか厳しい会社でほとんどが日帰りだった。

北海道や九州など、現地で1〜3箇所程度を回る。

それを日帰りでこなすので、羽田を始発便で出て、現地を最終便で出るという旅程になる。

羽田へは時間的に電車でも間に合うところに住んでいたが、自宅から空港まではタクシーをよく利用した。

その時はMKタクシーエスティマに当たることが多かった。

このエスティマタクシーは結婚式の当日(仏滅)に自宅から会場のホテルまで移動するときにも利用した。まあまあ低重心なのだが車内は広く、荷物も積めて良かった。

そんな、楽しいタクシーライフはやがて終わりを告げる。

テレワークがメインになる前から、深夜残業の禁止や昇格で担当する顧客が極端に減ったりし、タクシーに乗る機会が減っていった。

最盛期はほぼ毎日2回以上は乗っていたが、今では月に1回乗るかどうかだ。

最近乗るタクシーにエスティマ、クラウン(コンフォートじゃない)はもういない。

セドリックはまだ見かけるが完全に絶滅種だ。

コンフォートも徐々に減り、街ではジャパンタクシーシエンタばかりになってきた。

時々、アルファードも見かけるがどれも気分が上がる感じがしない。

ミニバンライクで剛性が足りず、自分が乗客ではなく荷物になった気分がする。

タクシーに乗る機会が減る直前頃に自宅を購入する話が持ち上がる。

それと同時にいよいよ、自家用車を購入する話になるのだが、それは次回に。

イングランド・ルール(その10 霧がないヒースロー)

BA8便、ボーイング777型機はイングランド人とウェールズ人を満載しロンドン上空に差し掛かった。

グリグリと螺旋を描きながらヒースロー空港へ着陸した。

我々が極東からだからか、そういうひがみ根性だからか、事実はわからないが、ヒースローの隅っこに着いた。

 

ほぼ最後に降機し、トコトコとタヌタヌと歩き始めた。

いつものことだが、搭乗の際はほぼ最初の搭乗だが、座席が後ろの方なので、悠然と最後に降りる。

今回もそうした。

機体からボーディングブリッジに出た瞬間に底冷えがした。

海外の空港に到着して私が密かに楽しみにしているのは、その国の空気を吸い込むことだ。

雰囲気とかムードではなく、本物の空気だ。

最初の瞬間だけ、空気にその国の味を感じる。

スワンナプームならナンプラーと汚水、香港機場なら中華料理、サンフランシスコならケチャップ、フランクフルトならザワークラフト、クアラルンプールなら香味野菜の匂いが一瞬だけする。

ちなみに日本へ帰った時は醤油の匂いだ。

ロンドンはというと、疲れた揚げ油のような匂いだ。

底冷えしているのに、一瞬だけむわぁっとした油の匂いに包まれる。

ボーディングブリッジを出ると、要所要所にブリティッシュエアウェイズの係員さんが立っており、私たちを誘導してくれる。

このまま入国審査ではなく、まずはシャトル(新交通)に乗る。

1駅か2駅を通り、終点で降りた。

引き続き、エスカレーターをいくつか上り入国審査にたどり着いた。

審査といっても、機械にパスポートをかざしゲートを通過するだけだ。

手荷物受け取り場に到着したら、私たちの荷物はすでにグルグルと回っていた。

荷物を受け取り、SIMカードを差し替え、税関を素通りして到着口に出た。

エコな私たちは地下鉄で宿に向かう。

今回はコンタクトレスのビザカードを持参した。

ロンドンの地下鉄はオイスターカードというスイカみたいなものもあるが、クレジットカードもかざすと乗れる。

ヒースローに乗り入れている地下鉄は古い型のもので、網棚はもちろん荷物置きもないし、エアコンもついていない。

我々はさっきまで上ってきたターミナルを地下鉄へ向け下って行った。

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イングランド・ルール(その9 ロンドンは燃えているか)

BA8便、ボーイング777型機はイングランド人とウェールズ人を満載しシベリアに別れを告げヨーロッパに差し掛かっていた。

機内では相変わらず、イングランド人かウェールズ人が何かを語り合っている。

それが英語なのかウェールズ語なのかを聞き分ければ、どちらが会話しているのか、はたまた議論しているのかわかるのだが、私の語学力ではそれらを判別することはできず、ただの雑音と化していた。

私たちの座席は、3人がけの右側通路から2人だ。

左側は見知らぬ外人だ。

男性か女性かも忘れてしまったが、たぬさんが珍しく通路側が良いと言ったので、私が真ん中に座ることにした。

たぬさんは通路側だとウトウトしている際に、通路に頭がはみ出し、カートを引いてくる乗務員のお尻がヒットしてしまうので、普段であれば2人の場合はなるべく真ん中に座っている。

外人の人の体臭がきつかったようだ。

ここで、気付いたが、連合王国の飛行機、かつイングランド人とウェールズ人が多数の機内なので、外人なのは私たちだった。

向こうから見ると、こちらはどう見えているのだろうか。

たぬきみたいな人と、挙動不審な人がそれぞれマスクをしてノイキャンヘットフォンをして座っている。

当時は、感染症などはなかったので、マスクをしている人なんてほとんどいなかった。

私は頻繁に出張している時代、乾燥した機内で寝てしまい、よく風邪をひき、ある時から、夏でも冬でも機内ではマスクをするようになった。

マスクをすると乾燥を防げるので、風邪をひくことは減った。(と思う)

話を機内に戻す。

私は外人の人の体臭とそれに合わさったコロンの臭いはさほど気にならないので、真ん中の座席に陣取り、読書に勤しんだ。

右側にたぬさんがいるので、ウェールズイングランドの乱闘に巻き込まれても、きっとたぬさんが闘ってくれる。

乱闘の心配は無くなったのだが、それにしても機内は騒々しかった。

ひたすらプラワインをラッパ飲みしながら、皆それぞれ何かがなり合っている。

最初のうち乗務員の人は注意したり、解散させたりしたが、解散後も集合が繰り返された。

優先搭乗ではなく、普通に搭乗してきた人たちなので、きっと普段は飛行機に乗っていないのだろうと思う。

ノイズキャンセリング越しに聞こえてくる外国の言葉を聞きつつ、コロンと酒臭さを嗅ぎながら、ロンドンの街を想った。

うるさい、くさい、と言っていたたぬさんは通路側の座席でこじんまりとし寝ていた。

フライトマップにはまだ連合王国本土は映し出されていないが、薄暗く、騒々しいBA8便は私たちを乗せヨーロッパを進んで行った。

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