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青椒肉絲のクルマ遍歴0.9

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営業車のワゴンRを降りた後、私は東京へ向かった。

東京の会社へ転職したのだった。

東京なんて右も左もわからない。知り合いの不動産会社の人に紹介してもらうまま、葛西の物件に落ち着いた。

東西線の混雑が想像を絶するもので、初日からヘトヘトになってしまった。

私が入社した会社は銀座にある会社だった。

定期券は新橋までだったが、いつも銀座で下車して会社まで歩いていた。

日産ビルから松坂屋の前を通り、工事中の交詢社ビルを見ながら出勤した。

東西線の押し合いへし合いでくたびれた心が少し落ち着く気がした。

朝の銀座は人通りもクルマも少なく、街全体が開店前のような風情で、ゴミを漁るカラスだけがその鋭い眼光を巡らせて活発に動いていた。

東京へ来て驚いたのは、どこまで行っても待ちが続くことと人の多さ、そして、カラスの毛並みが良く大きいということだった。

鳩はなんとなく全国共通な気がするが、カラスに関しては東京が一番毛並みも大きさも秀でていると思う。

食べ物がいいのか、育ちがいいのかそれはわからないが、東京のカラスには刃向かわないようにしようと上京早々、心に誓ったのは覚えている。

そんな東京生活で私の愛車になったのは、タクシーだ。

特に好きだったのは国際自動車のセドリックだ。

当時はまだジャパンタクシーは存在すらしなかったし、クラウンコンフォートも出始めで、セドリックもクラウンも居住性においてはさほど変わらなかったのだが、乗り心地に関してはセドリックの方が上に感じた。

クラウンはコンフォートになってからもそうだが、後部座席が酔いやすいという印象がある。

国際自動車のセドリックは濃紺ですっぽりと籠るような座席が低めで、通行人や他の車との視線が合わない感じが良かった。

MKタクシーのセドリックも高出力のエンジンを積んでいて好きだったが台数が少なくてまず当たらなかった。

当時はまだタクシーが全車禁煙になっておらず、黒タクシーだけが全車禁煙車で、カラフル車は喫煙、個人タクシーはまちまちだった。

ある時、築地で拾った国際の紺セドリックに乗った際、禁煙車のはずなのにタバコ臭かった。紺セドリックも禁煙の筈だ。なぜタバコ臭いか聞いたら、直前の客が女子ゴルファーのMと広告会社Dの社員でその社員の方が窓を開けタバコを吸っていたそうだ。

「本当に態度の悪い連中でしたよ、でもIちゃん(M)は本当に礼儀正しくていい人でしたよ〜」

あははは、と相槌を打ちつつ、タクシーでの態度は気をつけようと再認識したものだ。

他にもお台場のテレビ局社員の態度がどうの、などタクシーではいろんな会社の社員の評判を聞いた。

だが、いい評判の会社員話は聞いたことがなかった。

結婚した後、別の会社で勤めていた際にもタクシーはよく利用した。

その当時の勤務先は顧客が全て東京都内にはなく、郊外か地方だった。

地方出張はだいたい飛行機になる。タクシー代には甘かったが、宿泊にはなぜか厳しい会社でほとんどが日帰りだった。

北海道や九州など、現地で1〜3箇所程度を回る。

それを日帰りでこなすので、羽田を始発便で出て、現地を最終便で出るという旅程になる。

羽田へは時間的に電車でも間に合うところに住んでいたが、自宅から空港まではタクシーをよく利用した。

その時はMKタクシーエスティマに当たることが多かった。

このエスティマタクシーは結婚式の当日(仏滅)に自宅から会場のホテルまで移動するときにも利用した。まあまあ低重心なのだが車内は広く、荷物も積めて良かった。

そんな、楽しいタクシーライフはやがて終わりを告げる。

テレワークがメインになる前から、深夜残業の禁止や昇格で担当する顧客が極端に減ったりし、タクシーに乗る機会が減っていった。

最盛期はほぼ毎日2回以上は乗っていたが、今では月に1回乗るかどうかだ。

最近乗るタクシーにエスティマ、クラウン(コンフォートじゃない)はもういない。

セドリックはまだ見かけるが完全に絶滅種だ。

コンフォートも徐々に減り、街ではジャパンタクシーシエンタばかりになってきた。

時々、アルファードも見かけるがどれも気分が上がる感じがしない。

ミニバンライクで剛性が足りず、自分が乗客ではなく荷物になった気分がする。

タクシーに乗る機会が減る直前頃に自宅を購入する話が持ち上がる。

それと同時にいよいよ、自家用車を購入する話になるのだが、それは次回に。