都市高速でエンジンが止まったADバンは2.3週間ほどして戻ってきた。
日産車特有のガックンATはそのままだったがエンジンはかかりやすくなった。
私はカムリを返却しADバンでの外回りに戻った。
当時、私が担当していた難クラはあちこちに店舗があり、その店舗を巡回している幹部社員を捕まえて原稿を回収し、校正を受けるというものだった。
高速代、駐車場代はいくらかけてもいいので、原稿を予定通り入稿させるというのが私の仕事だ。
しばらくして、免停で業務から外れていた先輩社員が戻ってきて、2人体制でこの業務に当たることになった。
あらかじめ入稿のスケジュールは組まれているのだが、修正対応などでいつも締め切りギリギリになることが多かった。
クライアント企業は係長クラスがいきなり出奔し原稿のチェックが止まるなど不穏な感じがした。
ある時、原稿の修正が重なり、ここで校了を取らないと締め切りに間に合わない、という事態が起きた。
担当の部長が捕まらず、顧客役員(以下:客役員と呼ぶ)に権限で校了印を押してほしいと談判したが、事態を把握していないのか、私の説明が悪かったのか、
「青椒よ、担当部長のハンコがないものをワシが押すわけにはいかんのだよ、それが会社というものなんだ」
と言い、食い下がったがどうにもならない。
その日のうち(夜中だが)に、大学の先輩でもある課長へ相談の電話を入れたが、課長も
「先方の役員がそう言ったのなら仕方ないよ、青椒君。今日は家に帰って休んで」
という。ここでも食い下がったが、仕方ない、の一点張りだった。
結局、とうとう原稿が入稿できず、広告に穴が開く事態が発生した。
そのことを翌朝、クライアントの担当課長に報告したが、どうにも反応が鈍い。
夜になり、客役員のところへ、報告が上がり騒ぎになった。
時間は20時を回っていたかと思うが、私の勤務先の上司だけではなく、役員が呼び出され、協力会社も担当者だけではなく、役員(以下:本部長と呼ぶ)が呼び出される騒ぎになった。
どんなに偉い人をかき集めても、もうどうにもならない状況で、昨日、私に会社について諭した客役員が私に、なんとかしろと詰め寄る。
私は、昨日の夜になんとかしてくださいと私が言ったら、
担当部長のハンコがないものをワシが押すわけにはいかんのだよ、それが会社というものなんだ、と言われました、
覚えてらっしゃらないんでしょうか、と付け加え、さらに
昨夜ならあなたの力でなんとかなりましたが、もう今現在はここにいる誰の力でもなんともなりません、と返した。
「青椒君、それはどういう意味だ。なんとかしようよ。」
と課長がとりなそうとするので、
私は昨夜、課長にも報告と相談をしています。ここで通話の内容を話しましょうか、と言ったら、
客役員は激高し、私の勤務先役員と協力先本部長に「なんとかしろ!」と怒鳴り散らす。
それぞれあちこちに電話をかけたが10分ほどで決着がついた。
本部長から
「もうどうにもなりません」
と宣告された、万事休すである。
勤務先の役員から
「君、今日は帰っていい」
と告げられ、その日は帰宅した。
翌朝、出社すると役員に呼び出された。
「青椒君、君にはこのお客さん(難クライアント)から外れてもらう。いろいろ事実確認したけれども、君の言っていることの方が正しいと思う。でも、それでは収まらなかった。私からは、青椒君は真面目だけど大学出たてで世の中のこと何にも分かっていない。担当から外します、と説明しことを収めた。承知してくれ」
とのことだった。
私としてはクライアントの役員と一戦交えたのでお咎めを心配していたが杞憂に終わった。
いえ、私としては申し訳ないと思っています。役員に夜遅くに出張っていただき、ご対応いただく事態になり、任された仕事を守れず、役員を矢面に出してしまい、本当に申し訳ございません。
と、心から詫びた。
その後、課長に呼び出され、
「青椒君は出入り禁止!」
と告げられた。随分な社会であり会社だと思ったが、正直、ほっとした。
当面は新規開拓に回ってくれ、ということになり、愛車のADバンでホロホロと新規営業に出かけ始めた。
その後、2ヶ月もしないうちに、中型くらいのクライアントを新規で決め、ADバンも快調でルンルンしていた。
そんなある日、総務部の人から、君に新車を用意するので来週から乗り換えてくれ、とのお達しがきた。
地球を何周もしたADバンから新車?
同期は私を入れて3人居たが、新車の話がきたのは私だけだった。
新規が取れたとはいえ、この間外されたのでレギュラーの仕事は抱えていない。
他の同期の方が忙しいはずだ。
訝しんで、車種はなんですか、と総務部の人に尋ねたら
「ワゴンR!」
と返ってきた。
軽自動車に乗りたがる先輩社員がいなくて、私のところに軽自動車が回ってきたのかな、とその時は呑気に考えていた。
こうして、ADバンとはお別れし、ワゴンR(2000年型)が私のところにやってきた。
後に、軽自動車が回ってきた理由はみんなが嫌がって巡り巡ってきたわけではなく、私のところへ直行してきたということ、またその理由を知ることになるが、この時は無条件に嬉しかった。