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イングランド・ルール(その8 ウェールズの山)

BA8便、ボーイング777型機は燃料を満載した老体で羽田空港を離陸した。

先にも書いたが私はワイドボディー機の場合、通路側に座るようにしている。

そして、真ん中の列にすることが多い。

3-4-3列の配列だと、窓側の場合、2人の出入りが発生するたびに立ち上がる必要があるが、真ん中であれば1人のためだけ、場合によっては全くそういう気遣いが不要なこともあるからだ。

そんな打算から、国際線で海外へ出かける際に、機外に目をやって「行ってきます」などという感慨にふけることはない。

離陸した機内はエンジン音が大きいからか、私のノイズキャンセリングヘッドフォンの影響か人々の話し声は聞こえなかった。

機体は東京湾からヨロヨロと蛇行しながら日本海へと進路を取った。

座席画面に映される地図は新潟県を通過していた。

私は機内エンターテイメントを楽しむ習慣を持ち合わせていない。

同行のたぬさんはと言えば、ひたすら機内エンターテイメントを楽しんでいる。

エコノミー客が、機内をうろついたり、エサをくれと吠えたりしないため、航空会社が仕組んだ陰謀が機内エンターテイメントだ、と私が説明しても全く動じることがない。

機内で観た映画に名作はあるか?降機後にレビューを書けるか?と聞いてもどこ吹く風、テトリスをやっていたりする。

いつもなら、航空会社の陰謀をせせら笑うのだが、今日のBA8便では、乗客全員がその陰謀に呪われることを祈りたい気分になった。

飛行機はもう少しでユーラシア大陸上空に差し掛かるところまできた。

飲み物サービスが始まったあたりから、ノイズキャンセリング越しにも、機内の興奮度が上がっていることがわかった。

機内食が配られる。

周りのウェールズ人かイングランド人は2ドリンク所望している。

ビールとワインだ。

ビールもワインもラッパ飲みしている。

機内でウェールズイングランドが勃発しないか気が気ではなかった。

やがて食事も終わり、機内は少し暗くなった。

しかし、周囲のラッパ飲みは止まらない。

搭載重量軽量化の煽りを受け、エコノミー席の食事は減らされ続け、プラカップは薄くなり、とうとうワインのボトルもかなり以前からプラスチックだ。

その、プラスチックボトルのワインを彼らはラッパ飲みしている。

薄暗い機内でウェールズ人だかイングランド人は3人以上立ち話ができるスペースを見つけては大声で話し合いか言い合いをしている。

連合王国の成り立ちなど、興味がないたぬさんは隣で、どうでもいい全米が泣いたんだかナンバーワンだか記憶にも印象にも残らない映画を観続けている。

私はその辺でウェールズイングランドの乱闘が始まらないかヒヤヒヤし、読書もままならず、食後のビールをすすっていた。

機体は、私の知識があっていればツンドラ地帯の上空に差し掛かっていた。

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リコーGR3までのカメラのはなしのつづきその8

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学生時代、3年生以降新しいカメラは買わなくなった。

レンズは何本か買ったが、カメラはめっきり買わなくなった。

学生時代、最後に買ったのは、以前書いたニコンNewFM2だったかと思う。

そのFM2も先に書いた通り、旅先のアメリカで壊してしまい、買い直すことはなかった。

私が次にカメラを買ったのは大学を卒業してからしばらくたった後、フジカルディアミニティアラ2だった。

このティアラ2は先に登場したティアラの後継機、というよりはマイナーチェンジ機だった。

記憶違いでなければ大学を卒業してからだ。

このカメラ、旧型はストラップを付けようとすると三脚穴が塞がってしまうミニマムなものだったが、新型はストラップ穴が別につけられ、三脚穴はそのままで三脚をつけることができるようになっていた。

そのほかは、全くなんの変更もなかったように思う。

最初に就職した会社では、商品写真や利用風景など記録するために使用していた。

また、会社の名義を使えば現像は提携先であれば無料で行うこともでき、いろんな思い出を残した。

しかし、別のブログで書いたがその会社は退職してしまい、とうとう写真を撮ることは無くなってしまった。

TC-1とは違う手軽さは忘れられず、その後、何回かの引越しでも手放すことはなかった。

次にティアラ2を使おうとしたのは、それから3,4年してからだ。

使おうとした、というのは、使おうとしたが使えなかったからだ。

新婚だった時、東北地方へ旅に行った際、旅の記録を残そうと持っていったのだ。

立ち寄ったアウトレットモールで写真を撮ろうと、フィルムを装填し蓋を閉めたところ、異音がした。

「ゴワワワワ」

明らかに通常ではない音だ。

カメラの中でなにか起きている。

蓋を開けてみたら、フィルムが飛び出してきた。

このカメラは、フィルムを装填すると最後まで巻き取って、撮影ごとにパトローネ(ケース)へ撮影済みのカットが収納されていく方式だ。

この時は何らかの不具合でフィルムの巻き上げはされるが、カメラ内で収納がなされなかったのだと思う。

当時はデジタルカメラも持っていたが、きれいに記録を残したいと考えフィルムカメラを持ち出したのだった。

予備のカメラなど持ち合わせはない。

カメラなしの旅行となった。

この時は学生時代にあれだけティアラを修理に出したのに懲りずに使おうとした、また予備を持って出なかった自分自身を呪った。

これに懲りカメラを買わなかったといえばそうではない。

つぎにつづく。

(この機種単体のレビューはほとんどなかった)

rikkie.air-nifty.com

イングランド・ルール(その7 イギリスという国はない)

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私たちが搭乗するBA8便の搭乗口はかなり端の方になる。

キャセイラウンジから歩いて10分弱の距離だろうか。

5分ではたどり着かない。

もちろん、動く歩道を使えばその時間は短縮できるかと思う。

私は、海外旅行の際にはスーツケースは預けている。

今回も預入荷物があったためにカウンターで待っていた。

手荷物は仕事用のボロいリュックと某航空会社の手提げの紙袋にしている。

手提げ袋には機内でのお楽しみ品を入れ、機内でまず使わないであろう品(パソコンなど)をリュックに入れている。

お楽しみ品とは、主にはノイズキャンセリングヘッドフォンと本とスリッパだ。

リュックは南京錠で施錠している。あまり意味があるとも思えないが、抑止というかお守り程度でそうしている。

機内でのお楽しみ品を手提げ袋に詰めてキャセイラウンジを後にした。

搭乗口に着くと、まだ優先搭乗の受付をしていた。

私とたぬさんは滑り込みで優先搭乗ゲートを通ることができた。

座席はほぼ最後尾だ。

私はワイドボディー機に乗る際は、非常口から5列以内の通路側を押さえるようにしている。優先搭乗の最後に搭乗した割には、搭乗した人はまばらで、この飛行機が満席だとは思えなかった。

乗り継ぎかノーショーか?と一瞬考えたが、優先搭乗終了後に、イギリス人らしき人たちが大挙して搭乗してきた。

イギリス人らしき人たちは手際よく荷物を荷物入れに収納し、座席についていった。

彼らは手荷物も少なめで行列になることもさほどなく、満席にもかかわらず飛行機は定刻少し過ぎに搭乗ゲートを離れていった。

なんでこんなド満席なんだ?

私はハッとした。

この時期(2019年10月29日)といえば、ラグビーのワールドカップが東京で行われていたのだった。

そして、ウェールズと、イングランドのそれぞれの試合があり、ウェールズは負け、イングランドは勝った後だった。

つまり搭乗者は、イギリス人ではなく、ウェールズ人とイングランド人だったのだ。

片や敗者であり、片や勝者である。

これは、これからの十数時間、機内で乱闘でも起きるのではないか、と私はドキドキし始めた。

ロンドンヒースローまでの燃料を満載したBA8便(ボーイング777型機)はそんな私の心配とは関係なく、羽田空港D滑走路へガタガタと向かっていった。

イングランド・ルール(その6 ここは誰?私はどこ?)

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キャセイラウンジには7時30分ちょうど頃に到着した。

すでに先客が2名ほど居た。うち1人は明らかに不慣れな人で、受付でマゴついていた。

こういう受付でマゴついていたり、係員に詰め寄るのはなぜか日本のおじさんである印象があるのだが、恐らく気のせいか、私の偏見だろう。

私たちも無事に入場することができた。

私はソファー席でのんびりと飛行機を見ながらドリンクを楽しみたかったが、坦々麺を食べるたぬさんに付き合い、フードコート側へ進んだ。

 

朝からカレーライスの後に、坦々麺とは、どういう身体構造になっているのか、以前なら気にしたが、最近はそういう興味もなく、黙々と坦々麺を飲み込んでいくたぬさんを肴にビールをいただいていた。

たぬさんはまだなにか食べようとしていたが、私はソファー席へ移動することにした。

窓側には電源付きの一人掛け席があるのだが、私はリビングにあるようなソファー席を独り占めするのが好きだ。

ソファー席でいつものコース(ビール、泡、シャルドネリースリングシャルドネ、ビール)を楽しんでいると、日本人ビジネスマン一行がドカドカとやってきた。

ガヤガヤ言っているかと思ったら、彼らは荷物をソファーに置き、坦々麺を取りに行った。

 

私はこれらの荷物を見て、あらためてここは日本か外国かということを考えた。

このラウンジはキャセイ搭乗の人だけではなく、ワンワールド系で出国する人たちが利用しており、このままカバンの中身を取って出国してしまえば、どうにでもなる。

普段、性悪説を前提に仕事をしている私は想像を巡らしてみたりする。

少し前、国内線の到着ゲートで高級スーツケースを盗んだサラリーマンが捕まっていたが、おおよそ悪事に走る人のリスク感覚というのはどこか跳んでいるところがある。

こういうのんびりと荷物から離れる日本人会社員のカバンは何故かTUMIとaceが多いというのも、きっと私の偏見だろう。

坦々麺を入手した日本人ビジネスマン一行はソファーに陣取り、皆で仲良く麺をたぐり始めた。

欧米人の冷たい視線も感じることなく、ズズズッズ〜と麺をすする音でハーモニーを轟かせつつ、時折、談笑が幕間に響いていた。

そんなことを考えていると搭乗開始時間をとっくに回っていた。

私は、たぬさんにそろそろ搭乗ゲートへ向かうと告げ、手荷物を機内モードに変更する作業を開始した。いよいよ、ロンドンへ向かうことになる。

青椒肉絲のクルマ遍歴0.8

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営業車として新車のワゴンRが私のところへやってきた。

ドアを開けると新車の香りが充満していた。

香りというか匂いというか、新車独特のものだ。

このワゴンRにはADバンにはついていなかったキーレスエントリーがついていて、なにか誇らしい気分にさせてくれた。

当時は会社の寮に住んでおり、自転車なら15分の距離を徒歩で30分ほどかけて通っていた。

寮と言ってもレオパレスだったのだが、付属の駐車場は全て先輩社員が使っており、新入社員の私が使えるようなスペースは残されていなかった。

ADバンの時には近隣の駐車場を借りる気にはなれず、また自転車を買うという気にならなかったので徒歩で通っていた。

ワゴンRを支給された際に駐車場を借りることにした。

これで、朝の出社にかなり余裕ができるようになった。

先に、ワゴンRが支給されたのは同期では私だけと記載したが、しばらくして、もう一人の同期の人に支給された。

しばらくして、というのは、何人か打診したのだが、引き受け手がなく、順番で回ってきたのだ。

私のところにはワゴンRはストレートにやってきた。

これは、長距離を移動する案件が引き継がれることになったことが大きな理由だと、あとで課長から聞いた。

当時、私と同じ部署の人が同じ部署に居られなくなって異動することとなり、彼が持っていた案件を私に引き継ぐことになったのだが、そのうちの一つが自動車関係の案件で地方や僻地への訪問が発生するので、高速道路で止まるようなADバンではよくないだろう、ということだった。

そのころにはADバンは戻ってきていたが、そんな事情は知らずに乗り換え、また駐車場まで確保していたわけだ。

引き継いだ案件はとんでもない赤字案件で、また工程での事故も多く、入社2年目の私がやるには非常に荷が重いものだった。

また、異動後の先輩はまるで他所の会社に転職した人のように、案件の詳細を聞いても、引継ぎ済みだと言い、取りつく島もなかった。

結局、1年ほどかけてなんとか案件を黒字化したのだが、その直後にある上席からの一言で退職を決意することになる。

ある時、その上席者が私に、

「君のポジションにはA君(別の同期)が配属される予定だった」

と言った。

私が、

なぜ彼を配属しなかったのですか、と聞いたら、

「毒には毒をもって制する、だ。課長には私から青椒君を推挙した。課長は変な顔をしていたが、強硬に主張して君を配属したのだ。」

とその上席者は言った。

上席者の意図はわからないが、この発言は私の揺らいでいた心を決心に変えた。

A君は同じ営業部の中でも比較的自由で良質な案件を抱えている課に配属されていた。

私の課は、厳し目の案件があり元々ハードな部署だったが、この上席者がさらにその雰囲気を悪くしている感があった。

この上席者とはその後、些細なことで喧嘩をした。

喧嘩して以降は隣の席だったが業務以外のことで話しかけられても返事をしないようになった。

この年の年末に辞表を出し、この会社を去ることになる。

ワゴンRは私が抱えていた案件とセットで2年後輩の新入社員に引き継がれていった。

WebCGに同型車の試乗記が掲載されていた。

当時は100万ちょっとでこんなクルマが買えたのか。

www.webcg.net



青椒肉絲のクルマ遍歴0.6

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0.7をアップしたが、本来であれば0.6にするべきだった。

番号を後戻りさせて先の話をするわけにもいかないので、私の実家がブルーバードの後に乗ったクルマの話でもしようと思う。

以前書いたように、ブルーバードはATの不具合というか、クセが気に入らず、車検のタイミングで買い換えることになった。

次に実家へやってきたのは、チェイサー(X100系)だった。

結局、チェイサーに戻ったのだ。

私自身、このクルマを運転したのは2、3回ほどだったと思う。

といっても、このクルマが実家にいた期間が短かったわけではない。

おそらく10年以上はいたのではないだろうか。

このチェイサーの次が、プリウス(ZVW)だったので、

まあ、10年から15年ほどはチェイサーだったかと思う。

私がこのクルマに乗る機会が少なかったのは、転職で東京に出てしまい、実家に帰ることが極端に少なくなったからだ。

それでも、よく覚えているのは、母のクセがついてしまい、アクセルはちょっと踏み込んだだけでは反応がなく、そのまま踏み続けるといきなり加速することと、ブレーキは効き始めから踏み込んでいくとグイッとブレーキがかかるのだった。

相変わらず後部座席は狭かったし、荷物もさほど積めなかったが、ワインディングでも高速道路でも堂々とした走りぶりで疲れにくかった。

シートカバーは前のチェイサーで使っていたものがあり、それを流用していた。

なんとなく不格好だったが、それはそれで愛着があった。

1800ccのエンジンを目一杯回す母の運転は辟易したが、本人は、

「私は運転がうまい」

と宣っていた。

私が、運転にうまいも下手もない、レースをやっているのではないから、安全で慎重で、(危険が飛び込んでくる)かもしれないと用心するべきだ、そういうことは教習所で習ったはずだし免許センターでもビデオを見せられているのに、なんで覚えていないんだ、と言うと

「じゃあ、降りろ」

と母が言うので、

降りてもいいけど、もう家には帰らない、と私が返すと、

「だから、あんたは友達がいないんだ」

と母に言われた。

私は、おかげで不祥事や事件にも巻き込まれず、ここまで来られている、と返したら、

母が運転しながら泣き始めたことがあった。

母の運転が上達したからか、運がよかったからか、このチェイサーは事故に遭うことはなかった。

車上荒らしに遭った程度で、最後の最後まで、クルマ自体のトラブルはなかった。

ただ、最後の最後の最後とでも言おうか、どこで入れたのか知らないが、燃料不良でエンジンが壊れてしまった。

(と母は言っている)

私からすれば、あんなに荒っぽい運転で、ケチ臭い最低限の整備で十数万キロも走りとげたチェイサーは素晴らしいクルマだったと思う。

この型番でチェイサーは廃盤となり、実家のクルマは再び流転を繰り返すこととなる。

それは、また別の機会に譲る。

ja.wikipedia.org

青椒肉絲のクルマ遍歴0.7

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都市高速でエンジンが止まったADバンは2.3週間ほどして戻ってきた。

日産車特有のガックンATはそのままだったがエンジンはかかりやすくなった。

私はカムリを返却しADバンでの外回りに戻った。

当時、私が担当していた難クラはあちこちに店舗があり、その店舗を巡回している幹部社員を捕まえて原稿を回収し、校正を受けるというものだった。

高速代、駐車場代はいくらかけてもいいので、原稿を予定通り入稿させるというのが私の仕事だ。

しばらくして、免停で業務から外れていた先輩社員が戻ってきて、2人体制でこの業務に当たることになった。

あらかじめ入稿のスケジュールは組まれているのだが、修正対応などでいつも締め切りギリギリになることが多かった。

クライアント企業は係長クラスがいきなり出奔し原稿のチェックが止まるなど不穏な感じがした。

ある時、原稿の修正が重なり、ここで校了を取らないと締め切りに間に合わない、という事態が起きた。

担当の部長が捕まらず、顧客役員(以下:客役員と呼ぶ)に権限で校了印を押してほしいと談判したが、事態を把握していないのか、私の説明が悪かったのか、

「青椒よ、担当部長のハンコがないものをワシが押すわけにはいかんのだよ、それが会社というものなんだ」

と言い、食い下がったがどうにもならない。

その日のうち(夜中だが)に、大学の先輩でもある課長へ相談の電話を入れたが、課長も

「先方の役員がそう言ったのなら仕方ないよ、青椒君。今日は家に帰って休んで」

という。ここでも食い下がったが、仕方ない、の一点張りだった。

結局、とうとう原稿が入稿できず、広告に穴が開く事態が発生した。

そのことを翌朝、クライアントの担当課長に報告したが、どうにも反応が鈍い。

夜になり、客役員のところへ、報告が上がり騒ぎになった。

時間は20時を回っていたかと思うが、私の勤務先の上司だけではなく、役員が呼び出され、協力会社も担当者だけではなく、役員(以下:本部長と呼ぶ)が呼び出される騒ぎになった。

どんなに偉い人をかき集めても、もうどうにもならない状況で、昨日、私に会社について諭した客役員が私に、なんとかしろと詰め寄る。

私は、昨日の夜になんとかしてくださいと私が言ったら、

担当部長のハンコがないものをワシが押すわけにはいかんのだよ、それが会社というものなんだ、と言われました、

覚えてらっしゃらないんでしょうか、と付け加え、さらに

昨夜ならあなたの力でなんとかなりましたが、もう今現在はここにいる誰の力でもなんともなりません、と返した。

「青椒君、それはどういう意味だ。なんとかしようよ。」

と課長がとりなそうとするので、

私は昨夜、課長にも報告と相談をしています。ここで通話の内容を話しましょうか、と言ったら、

客役員は激高し、私の勤務先役員と協力先本部長に「なんとかしろ!」と怒鳴り散らす。

それぞれあちこちに電話をかけたが10分ほどで決着がついた。

本部長から

「もうどうにもなりません」

と宣告された、万事休すである。

勤務先の役員から

「君、今日は帰っていい」

と告げられ、その日は帰宅した。

翌朝、出社すると役員に呼び出された。

「青椒君、君にはこのお客さん(難クライアント)から外れてもらう。いろいろ事実確認したけれども、君の言っていることの方が正しいと思う。でも、それでは収まらなかった。私からは、青椒君は真面目だけど大学出たてで世の中のこと何にも分かっていない。担当から外します、と説明しことを収めた。承知してくれ」

とのことだった。

私としてはクライアントの役員と一戦交えたのでお咎めを心配していたが杞憂に終わった。

いえ、私としては申し訳ないと思っています。役員に夜遅くに出張っていただき、ご対応いただく事態になり、任された仕事を守れず、役員を矢面に出してしまい、本当に申し訳ございません。

と、心から詫びた。

その後、課長に呼び出され、

「青椒君は出入り禁止!」

と告げられた。随分な社会であり会社だと思ったが、正直、ほっとした。

当面は新規開拓に回ってくれ、ということになり、愛車のADバンでホロホロと新規営業に出かけ始めた。

その後、2ヶ月もしないうちに、中型くらいのクライアントを新規で決め、ADバンも快調でルンルンしていた。

そんなある日、総務部の人から、君に新車を用意するので来週から乗り換えてくれ、とのお達しがきた。

地球を何周もしたADバンから新車?

同期は私を入れて3人居たが、新車の話がきたのは私だけだった。

新規が取れたとはいえ、この間外されたのでレギュラーの仕事は抱えていない。

他の同期の方が忙しいはずだ。

訝しんで、車種はなんですか、と総務部の人に尋ねたら

ワゴンR!」

と返ってきた。

軽自動車に乗りたがる先輩社員がいなくて、私のところに軽自動車が回ってきたのかな、とその時は呑気に考えていた。

こうして、ADバンとはお別れし、ワゴンR(2000年型)が私のところにやってきた。

後に、軽自動車が回ってきた理由はみんなが嫌がって巡り巡ってきたわけではなく、私のところへ直行してきたということ、またその理由を知ることになるが、この時は無条件に嬉しかった。

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