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リコーGR3までのカメラのはなしのつづきその5

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カメラはなんだかんだ買ったが、三脚はそんなに買ったことがない。

ちなみに、カメラバッグは、まま買ったように思う。

歴代に手にしたことがある三脚は3本。(1本2本のカウントで合っているのか)

最初は、祖父とカメラを買いに行った時に購入したSLIKの三脚だ。

これ、大学の1年までは使っていた。

大学に入ってしばらくした時に、売店で勧められ購入したのがジッツオの三脚だ。

ジッツオというメーカーは機関銃の銃座を作っていたと言われていた、本当か嘘かわからないが、そういう触れ込みを読んだことはある。

それだけに頑丈で、壊れないし、塗装や錆止めが良いのか、購入した時とほとんど同じ色だ。

雲台はベルボンという国内メーカーの自由雲台をつけているが、こちらは錆が浮いている。

前回紹介したNewFm2が転倒した時に半開きで立てていた三脚はこのジッツオだ。

頑丈で壊れたことがないのだが、一度、修理工場送りになったことがある。

ある雨の日、ジッツオを立てて撮影をし、雨が止んだので撤収しようとした時、3本の脚のうち1本が収納できなくなった。

どんなに力をかけても脚を固定しているグリップは開かない。

押しても引いてもダメだ。

修理工場から無事に戻ってきた時、修理明細は中の部品が雨水で膨張しグリップが動かなくなった、ような記載だったと記憶している。

元々、手持ちでスローシャッターを宗とするので、持ち出してもさほど使わないのだが、夜間の長時間露光では威力を発揮する。

今では年に数回しか使うことはないが、撮影旅行などに出かける時は重宝する。

ストラップもケースもないので脚部分をスーパーマーケットのビニール袋で包み、ボストンバッグにつめて運ぶ。

それなりに重いが、間違えがない道具としてもう20年以上、手元にある。

最後に購入したのはマンフロットのミニ三脚だ。

これは、大学の友人たちがマンフロット三脚を買った時におまけでもらったものを見て欲しくなったのだ。

当時、マンフロット三脚はジッツオの何分の1の価格、国産メーカーよりも数割安く出回っていた。

イタリアメーカーで作りは国産のものよりもしっかりしている。

ただし、重いのだ。

丈夫さ、よりも安さに替えられないと考える学生はみんなマンフロットを持っていた。

だから、結構な人がこのミニ三脚を持っていた。

ミニ三脚は割とルーズな作りで締め込みも掴みにくく、閉じたときの脚も揃わないのだが、それがまた壊れにくくしている感じだ。

このミニ三脚はデスクの引き出しに入れてある。(それくらい小さい)

三脚は3本購入したが、SLIKはケンコー・トキナーに買収され、ジッツオとマンフロットは今同じ企業グループの傘下になっている。

フランスで製造されていたジッツオはイタリアへ工場移転したそうだ。

カメラが売れないのだからしょうがないが、安くて機能充分だが重いマンフロットと、銃座メーカーだったと怪しい伝説を持つほど頑丈で高いジッツオが一緒になり、イタリアで作られているというのは少し複雑な気分にさせる。

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リコーGR3までのカメラのはなしのつづきその4

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学生時代のメインカメラはキヤノンEOS5だということは以前書いた。

実は一時期、ニコンNewFm2を持っていたことがある。

そして、今も防湿庫で眠っている。

バイト先の会社が使わなくなったニコンのマニュアルレンズを譲ってくれるという話があり手頃なニコンのカメラを探していた。

当時、FM10という廉価なカメラが出ていたが、スクリーン交換できないのとキットレンズがイマイチに感じた。

また、中古でカメラを買うという知恵もなく色々と探していた。

すると、レモン社というカメラ店で逆輸入版のNewFm2を見つけた。

国内で普通に購入するよりも少しだけ安い価格だった。

しばらくは、NewFm2に譲り受けた24mmレンズをつけて街中をスナップして歩いたりしていた。

ある時、海外に研修旅行へ出ることがあり、EOS5ではなくNewFm2を持っていくことにした。

その旅行で悲劇が起きた。

ある朝、山の頂上で日の出を撮ろうということになった。

私は三脚にカメラをつけて地面に立てたのだが、横着をして三脚を開ききらず立て、露出計で露出を測り始めた。

その時だ、ものすごい突風がNewFm2を襲った。

カメラはレンズを前にして倒れた。

レンズはヘリコイド(ピントを合わすリング)からぐにゃりと曲がり、カメラ本体もマウント部分(レンズとの接合部)が少しめり込んでしまった。

この時、不覚にも予備のカメラを持って行っていなかった。

NewFm2は電池がなくても動作するメカシャッター、ボデーは骨格、外装共に金属製できており、まず壊れないだろうと過信していた。

もちろん、通常使用であればまったく問題のない機体だし、この時も三脚を開かずに地面に置いたり三脚を開いていてもカメラを下置いたりしてしまっても大丈夫なはずだった。

これは、完全に私の不注意だった。

帰国後、ニコンのサービスセンターに持ち込んだが、レンズもカメラも修理不能とのことだった。

海外旅行保険を厚めにかけていたので、免責代を支払い、保険金を受け取った。

この時、再びNewFm2を買うことはしなかった。

なんだかむしゃくしゃし、その保険金は酒代に化けてしまった。

壊れた24mmレンズとNewFm2は数年後、引越しだか何かの時に当時付き合っていた人が処分してしまった。

私の手元からニコンのカメラはいなくなった。

では、今のNewFm2はどこから来たのか。

前のNewFm2が居なくなって15年ほどした時、大学時代の友人に子供ができ、出産祝いを贈った際に、半ば強引に内祝いとしてもらったものだ。

友人はカメラなど修理しない人で、私の手元に来た機体はあちこち痛んでいた。

特に、フィルムの巻き上げリールが曲がっていて、撮影後の巻き上げがなかなか進まない感じだったし、シャッター音もなんだか聞き覚えのあるものとは違う印象だった。

メーカーのサービスセンターに持ち込んだが、既にNewFm2のサポートは終了しており、申し訳程度に外装の清掃(クロスで拭くだけ)のみ対応だった。

メーカーOBの方々が営まれている修理工房を見つけて、ようやくオーバーホール(点検と修理)することができた。

見違えるように綺麗になり、スムーズな動きになり、NewFm2は帰ってきた、出産祝いよりも高い修理代の請求と一緒に。

このカメラには50mmF1.4レンズがよく似合う。

前のNewFm2についていたレンズが防湿庫に残っていた。

友人の機体にも同じレンズがついていたので、修理から戻ってきたところで、友人の方のレンズを処分し、35mmと85mmのレンズを中古で手に入れた。

85mmはあまり性に合わず、別のカメラを売却する時に一緒に処分してしまった。

結局、NewFm2でそんなに写真を撮った記憶はない。

今は、50mmと35mmが一緒に防湿庫で眠っている。

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リコーGR3までのカメラのはなしのつづきその3

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 富士フィルムのティアラはなかなか良かったが、とにかくよく壊れた。

保有台数が3台か4台になったときに大学の売店で、ミノルタTC-1を勧められた。

この時の値段はティアラ4、5台分だったかと思う。

そんなにティアラを買って壊すなら、この際、いいカメラを1台持った方がいいのではないかという話だった。

なるほど、それもそうだと思い、バイトで貯めたお金をはたいてTC-1を購入した。

フォルムが美しく、円形の絞りなど、なかなかなカタログ性能を誇っていた。

このカメラを購入後、修理で戻ってきた複数台のティアラは、私の手元には戻らず、同級生やその他の人のところへ、旅立って行き1台体制になった。

TC-1とティアラの2台体制になってしばらくした頃、このTC-1の故障が頻発し出した。

最初は液晶の表示不良、その後、スイッチ不良、電池蓋不良などなどだ。

この機体はこれら修理により、軍艦部(カメラ上部)と電池BOX(蓋を含む)は購入時と違うものになり、日焼けの関係などで本体との色が微妙なツートンになった。

液晶不良については何度修理しても治らず、1年に1回程度の頻度で壊れた。

そんなに荒っぽい使い方はしていないのだが、電装部の故障には最後まで悩まされた。

絞りはアナログで設定できるのでさほどではないが、露出の補正値や撮影枚数が表示されなくて困ることが多かった。

故障中にもう1台買うような気軽さはなく、TC-1については1台きりで運用した。

このカメラもティアラ同様にあちこちへ連れ出したが、生来の貧乏性がたたって、故障を嫌い荒天時に取り出す勇気が出なかった。

そんなこともあり、そんなにたくさんのカットを撮った気がしない。

大学を卒業する直前にも修理したがその後は使わず、しばらく防湿庫の肥やしになっていた。

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就職してしばらくし、当時付き合っていた人にこのカメラを貸していたことがある。

というか、勝手に持って行ったのだ。

関係を解消してからもしばらく返ってこなくて、

これだけは私の財産なので返してほしい、と懇願し、当時の勤務先まで持ってきてもらったことがある。

今思えば、その時が一番カット数を稼いでいたかもしれない。

TC-1はそれから10年ほどは使うことはなく保管していた。

再び使おうと、電池を入れて使い始めたら、また液晶の表示がおかしかった。

この時には、製造メーカーであるミノルタコニカと合併しコニカミノルタとなり、カメラ事業はソニーに売却してしまっていた。

当然、ソニーは私のTC-1の修理を請負ってはくれない。

調べてみると東京の中野にあるレンズフィルターメーカーがアフターフォローを引き継いでいることがわかり、そこへ「最後」の修理を出した。

修理から戻ってきたTC-1で数本のフィルムを通したが、また壊れそうな気がして、ヤフオクで処分してしまった。

ティアラもたいがい壊れたが常時複数台で回していたため、手元にはいつもあって常に私の共をしていたような印象がある。

しかし、このTC-1は、使っていた期間よりも修理に出していた期間の方が長い気がしてならない。

ちなみにヤフオクでの売却額は使用20年で額面上は購入時の8割程度だった。

修理代が高くついていたので、そんなに儲かった気持ちにならなかった。

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sunrise-camera.net

リコーGR3までのカメラのはなしのつづきその2

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キヤノンEOS5を使いつつ、普段はフジカルティアミニティアラ、というコンパクトカメラを使っていた。

昔の富士フィルムというメーカーは商品のネーミングセンスがイマイチだった。

このティアラもそうだが、このダサいネーミングはファインピクスあたりまで続く。

最近はXシリーズに衣替えしスッキリした印象だ。

カメラ以外にも、ネオパンSS、ネオパンF、ネオパンプロスト、プロビア、ベルビア、アスティア、ドライウェルなどなど、キレのない名前のオンパレードだった。

ネオパンはSSだのFだの意味がわからなかった。

フィルム乾燥時の水滴跡を防ぐ薬剤がドライウェルって。

FinePix(ファインピックス)って、Fine(良い)Pix(画像、画素?)か、恥ずかしくて持てない。

そんな、富士フィルムが出してきたのが、カルディアミニティアラだ。

カルディア、、、やめておこう。

当時の富士フィルムはコンパクトカメラのシリーズ名称がカルディアだった。

富士フィルムのコンパクトカメラの1機種がこの「ティアラ」になる。

ティアラ、女性が頭につける王冠的なものだ。

価格は性能からすると安価で3万円前後だったと思う。

クラウン(王冠)ではなく、ティアラ(半冠?)にしたのは価格からか見た目の可愛さからか。

このカメラが大学の売店で街頭の店よりも安めに出ていた。

知り合いの写真マニアの代行でも購入したので、私はこの売店で同じ機種を合計10台は購入したと思う。

今のように転売なんて文化もないので完全スルーでの代行購入だ。

自分用には3、4台購入したと思う。

1台に収まらなかったのは、私がこのティアラを気に入ったのもあるが、よく壊れて修理に出すことが多かったからだ。

修理に出すときに、手軽な値段なので、もう1台購入する。

それが重なって、何台も買うことになる。

写真を撮って壊す流れは止まらないので、手元には1、2台程度しかいないことになる。

よく壊れたがよく写るレンズとドラマチックな露出設定のカメラだった。

前面蓋を開けるとスイッチが入りレンズが繰り出す。スイッチオフの時は逆の動作を取ればいい。

露出調整機能はなく撮影にはシャッターのみだったが、途中巻き上げ機能があり、途中のカットで切り上げて現像所にフィルムを持ち込む際も余計なカラシャッターを切らなくていい。

フィルムの巻き上げが少し特殊でフィルムを装填するとカメラ内でフィルムを先に巻き上げてしまい、撮影ごとにパトローネ(フィルムが入っている金属の容器)へフィルムを送り込んでいく。撮影の途中で誤ってカメラの蓋を開けても未撮影の部分だけが感光し、撮影済みのフィルムは守られる方式になっている。

もちろん、カメラが壊れて巻き上げなくなった場合も撮影部分は同様に守られる訳だ。

最初から壊れる前提だったのかはわからないのだが。

そんなティアラはどこへ行くにも持ち歩いた。

ある時はメイン機(EOS5)の予備機、ある時は単独のスナップ用として。

そんな位置づけだったからか、このカメラで私が納得いく、得心するような「作品」は撮った記憶がない。

なんとなく記録を撮りまくり壊しまくり、悪いできの写真を残した記憶もないが、何を撮ったのかもあまり記憶にない、

このカメラと出かけた色んな場所や出来事だけはなぜか覚えている。

スマートフォン全盛の現代では、こんなコンセプトのカメラに出会うことはもうないだろう。

今のカメラは高すぎる。

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リコーGR3までのカメラのはなしのつづきその1

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高校時代はEOS100で通した。

レンズもキットレンズだった。大学に入学して手元の古いカメラの修理を出した。

高校時代に少しだけ使った母からのお下がりカメラもこのタイミングで修理に出した。

当時、水銀電池が廃番になるということでそのお下がりであるオリンパスOM-1も露出計用の電池ボックスを交換しなければならなかったからだ。

電池ボックスの交換そのものはさほどたいした金額ではなかったが、この際なのでオーバーホール(点検と修理)も一緒にしようと考えた。

修理の見積りが届いた、金額の高さに驚いた。カメラも買えそうな値段だ。

が、修理は進行させることにした。

生産が終了したこのカメラを修理できるのは最後かも知れないと考え、そのまま修理を進めた。

修理内容はモルト(遮光材)、ペンタプリズム交換、レンズカビ取り、他調整だった。

ほとんど新品になって、OM-1は帰ってきた。

修理完了後、フィルム2〜5本程度撮影したが、そのまま防湿庫の肥やしとなった。

このOM−1、正確にはOM−1MD(モータードライブ)は

その後、20年近くしてから再度修理に出すことになるがその話は別の機会にする。

高校時代に購入したキヤノンEOS100の次に購入したのは同じキヤノンのEOS5とミノルタTC−1だった。

キヤノンEOS5は秒間5コマの連写が可能で価格の割に性能が高かった。

ファインダーの視野率は90%そこそこだったが、さほど気にはならなかった。

このカメラに、EF50mmF1.8Ⅱというレンズをセットで購入したような気がする。

今から思えばよく写るレンズだったが、フォーカスリングが固定できず振り回しているとピントがズレる。

通常のオートフォーカス利用ならさほどでもないが、私は今も昔もレンズを絞りまくってピントを固定して使うことが多い。

数ヶ月もしないうちにEF50mmF1.4を購入した。

その間にシグマの28~70mmF2.8も購入した。

どんどんどんどん、レンズを買っていた。

だが、結局ズームレンズは性に合わず、使う機会は減っていった。

最近のズームレンズは私が写真を始めた頃に比べると格段に性能が上がっていて、ちょっとした単焦点レンズと比較しても遜色はない。

そんな時代になっても、ズームレンズはうまく使えない。

結局、広角側で固定して使うことになる。

そんなこんなで、学生時代の常用はEOS5とEF50mmF1.4の組み合わせになっていった。

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Canon 単焦点レンズ EF50mm F1.4 USM フルサイズ対応
 

 

リコーGR3までのカメラのはなし

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写真を始めたのは高校時代からだ。

元々放送部が希望だったが、なんかの加減で放送部には入らなかった。

高校には写真部があり、その門を叩いた。

最初の1年目は写真よりもメカに興味を持った。

写真部に入部するとはいえ、何万円もするカメラを新調してもらえるわけではなく、家にあった母のお下がりのカメラを使うことになった。

そのカメラで最初に撮ったフィルムには何も写っていなかった。

フィルムの装填に失敗しひたすら空シャッターを切っていたのだ。

フィルムの装填はなんとかできるようになったが、ワインダーが欲しくなった。

ワインダーとは自動巻き上げ機のことだ。

よく、アイフォンとかでカシャリと音がするが、あれに近い音を発する。

私は、あのアイフォンのシャッター音は、フィルムを巻き上げるモーターの音が含まれていると思っている。

そもそもシャッターだけではあんな盛大な音はしない。

ワインダーに話を戻す。

しかし、これには家族が反対した。

無駄遣いというのと、そんなものをつけると古いカメラが壊れるというものだった。

壊れる、という主張はどこからともなく現れてきたカメラが趣味だった祖父だ。

祖父は、ワインダーの代わりに当時最新のキヤノンEOS1000の購入を持ちかけてきた。

フィルムは自動巻で非常に扱いやすそうだった。

当時、祖父はEOS10という機種を使っていたと思う。

私はカタログを取り寄せて、キヤノンのカメラの検討に入った。

そんななかでEOS100が目に留まった。

当時、キヤノンの最上位機種であるEOS1にしか搭載されていなかったサブダイヤルを搭載していた。

あとはストロボが自動でポップアップする。

私は高校1年生から大学2年までこのカメラを使うことになる。

地元のディスカウント店で、純正のキットレンズとシグマの直進望遠ズームのセットと三脚とカメラバックも一緒に購入した(買ってもらった)。

三脚は高校の3年間、カメラバックは大学の2年まで使った。

今から振り返ると、コンテスト入賞や予選通過の件数だけなら、単体ではこのEOS100が一番だったような気がする。

(つづく、、、)

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宇部への旅行に出るのに(2019年の)

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2019年もまあまあ旅行には出掛けていた。

宇部への旅行は、私の趣味や興味ではなく、先輩の運転手としてだ。

先輩は体質の問題で運転免許がない。

同期の人や私のような後輩が暇を見ては彼の運転手を務めている。

先輩はいわゆる写真家で日本中の寂れた駅舎を撮影している。

写真家と言ってもみんなが知っているような有名な人ではない。

自称写真家、ということにもなりそうだが、著作を数冊出しているので、写真家と呼んでも差し支えないと思う。

もちろん、自費出版ではないが、写真で生活ができているわけでもない。

他に仕事を持っている先輩の撮影は週末を挟んだものになる。

待ち合わせは羽田空港か東京駅だ。

関東近県の地方都市に住んでいる先輩は「始発」に乗ってやってくる。

東京駅だと新幹線で来ることが多いので早くても8時台の集合となる。

空港の場合は、リムジンバスでやってくる。

このリムジンバスというやつは、飛行機のダイヤに合わせて運行されていることが多い。

飛行機の始発便に合わせて、6時台に羽田に到着する便も存在するのだ。

その始発リムジンバスで4時台に地元を出発するなら羽田か目的地で前泊すれば良いと思うのだが、写真以外の交友が少ない先輩は夜の付き合いもなく、晩酌もないので早朝は特に気にならないようだ。

なので、先輩との待ち合わせは金曜か土曜の朝6時台に羽田のターミナルで、ということになる。

私は羽田まで1時間もかからないアクセスを確保しているのだが、6時台に羽田へ行くのはなかなかの苦行だ。

一応は上下関係が存在するので私の方が先輩よりも先に空港に入っている。

そこで、気を揉むのは首都高の渋滞だ。

このリムジンバスは時間通りについた試しがない。

定刻よりも早いか遅いかだ。

早い分にはさほど気にならない(出迎えのためそれ以上に早めに行っている)のだが、遅い時は割とギリギリで到着になる。

バスが遅くついた場合、

腹減った、何か食べたい、というのをなだめてまずは制限区域内に放り込むのが、出迎えの次に私が行うタスクになる。

今回は少し遅れて到着だったが、宇部行きの便には間に合う時間だった。

再会を喜んだのも束の間、彼は

「青椒くん、ラウンジ行きたい」と言った。

リクエストにお応えして、ANAラウンジに歩を向けた。

(つづく、、、)