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青椒肉絲のクルマ遍歴0.4

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修理したらまだ乗ることができたチェイサー(X90系)は、当て逃げ事故やその後の諸々を思い出すからか、父は手放してしまった。

次に我が家の自家用車になったのは日産ブルーバード(U14型)だった。

車格的にチェイサーからはグレードダウンになった。

当時、私たち兄弟の学費負担が上昇していたことと、父の会社が業績不振だったことが重なりクルマの予算を以前ほど捻出できなくなっていた。

トヨタから日産に変えたのは、母の友人の紹介で安く新車を購入できるという話だった。

私は嫌な予感がして

こういう大きな買い物を友だちの紹介で買わない方がいい、パルサーの時、友だちなくしたじゃないか。と母に言った。

「うるさい、あんたの学費が高いせいでしょ。1年生の時みたいに成績優秀で学費免除になればチェイサーが買える!」

と母が返してきたので、

元々、親に頼まれて大学に進んだんだから未練はない、いつでも辞めるから友だち紹介はやめたら。と私が返したら、

「うるさい!自分で稼いでもいないのに黙れ!」

と言われたので黙った。

そんなことで購入を反対したブルーバードだったが、このクルマこそ、自家用車では私が初めて運転したクルマになる。

(自家用車じゃないクルマは運転したことがあるがまた別の話で)

大学の後半は上記の経済的な事情により実家から大学に通っていた。

同じ地方の学校とはいえ、片道で2時間半以上かかる通学には辟易し、途中から友だちの部屋を泊まり歩くようなことをしていた。

母には、Xくんの家に泊まる、と言っていたが、そのXくんの部屋には1回しか行ったことがない。

あちこち泊まり歩いているうちに彼女ができた。

大学の最終年度になり学校に行くこと自体が減り、彼女が実家に遊びに来ることが増えた。

その時にドライブで乗ったのがこのブルーバードだ。

市内を走り回り、朝満タンだったタンクを空にして夕方帰宅することもあった。

その頃には、当時の日産車特有のATギクシャク症状が始まっていた。

日産車のATはしっかりと手入れしていないと1速から2速(と思う)のシフトアップがうまくいかず、ガックンとなった。

このU 14型は後期でCVTへ変更されたので、改修により問題を解決するのではなく、変更により手っ取り早く不具合の収拾を図ったのではないかと想像する。

後日談だが、この日産のギクシャクAT、セドリックタクシーには最終型まで搭載されることになる。最終のセドでは、ベンチシートでないのにレバーがコラム式に変更され、シフトアップもギクシャクの手前でため込まず割り切ってギアが変わる印象に変わった。

ため込まないので、坂道や高速の合流ではマゴマゴする印象になった。

コラム式ではないATを搭載していたセドリックタクシーはこのギクシャク癖をもったトランスミッションで、マメにメンテナンスをしないと、タクシーなのにガックンガックンする運転となる代物だった。

たまに地方で、このギクシャクするはずのセドリックにあたり、ギクシャクしなかった時には、感謝のハガキをしたためたものだ。

大阪でこのギクシャクしない旧いセドリックに当たった時、いつものようにハガキを出したところ、タクシー会社の管理者からお礼の手紙が届いたことがある。

話が横道に逸れた。

我が家のブルーバードは大きな事故や故障はなかったが、このATの素性に対して、母がディーラーへ改修を依頼したにもかかわらず、ディーラーの回答は、「こんなもんです」的なものだった。(母談)

それに、げき怒りした母はディーラー担当者に紹介してくれた○○さんの顔を潰すのか、と食ってかかったが相手にされなかったそうだ。

結局、母に日産車を紹介してくれた友人は疎遠になった。

ブルーバードは大きな故障はなかったと、書いたが、私が車庫入れの時に左後ろを擦ってしまったことがある。

前述のようないいわくがついてしまったので、手放すまで修理はされなかった。

ブルーバードは1回目か2回目の車検で手放した。

手放した時期が不明瞭なのは私が大学を出て、就職した後の話だからだ。

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