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青椒肉絲のクルマ遍歴0.2

トヨタコロナは車検でお役御免とすることが決まった。

それまでに次のクルマを決めることになった。

両親は、トヨタ系列のディーラーへ訪問を重ねていた。

そのなかで印象的だったのはエスティマキャバリエだった。

私の嗜好は全く反映されず、

両親はいろいろと見て回った結果、トヨタチェーサー(X80系)に決めた。

色は白だった。

前のトヨタコロナは在庫品だったのか、色がグレーでなんだか営業車の趣きだったが、今回のチェイサーはハードトップで高級感が上がっていた。

ちなみにこのチェイサーもモデル末期のお買い得車だった。

この頃になると、父はゴルフを始めていて、このチェイサーでよくゴルフ練習場へ出かけていた。

以前、祖父がゴルフを勧めると、1日がかりで小さい玉をカップに入れるだけのことの何が面白いんだ、と言っていたが、30歳代後半になると、祖父のおふるを皮切りに道具を揃え始め、祖父と打ちっぱなしに行くようになった。

ちなみに私は当時の父の年齢はとっくに超えたが、ゴルフにはいまのところ手を出していない。

高校の時に父がゴルフ場の会員権を購入した際に、強く反対し喧嘩になったことがある。

父は、これは買い得だ、売り出しの時よりも十分の一の価格になっている、というのだ。

私が、それは経営に行き詰まり投げ売りに出ているだけだ、そんなに遠くない将来に痛い目に遭う、と進言したのだ。

「うるさい、お前はだまっておけ!!」

口下手な父はこのセリフを繰り返すだけ、今から思えば余計なお世話だった。

それから5年もしないうちにそのゴルフ場は経営破綻し、会員権は紙屑になった。

このやりとりを覚えていた母から、父が債権者集会に出かけた、と教えてくれた。

チェイサーはゴルフに出かけるための道具の一つだったのかもしれない。

だが、このチェイサー(X80系)との別れはある日突然やってくる。

それは、とある土曜日だった私が学校から帰ってくるとクルマがカーポートにない。

土曜は学校が昼までだ。

母は出かけているのかと思い、家に入ると父と母の声がする。

母を見ると首に器具を巻きつけている。ムチウチの時につけるアレだ。

一瞬で、事態を飲み込んだ。

今回はトヨタコロナの時とは異なり、チェイサーが帰還することはなかった。

チェイサー(X80系)は母の命と引き換えにスクラップになった。

ja.wikipedia.org