切ない理由で日産パルサーを手放した母は次のクルマを物色し始めた。
立ち直りが早いのではなく都合が悪いことは忘れてしまうのだ。
あちこちに見積を出そうとしていたが、父がトヨタ車を猛烈に推し始めた。
何があったか知らないが、クルマ購入に父が介入し始めたのだ。
決まりかけていたクルマ(見積)は振り出しに戻ることになった。
クルマ選びと並行し、殺風景なガレージというよりはカーポートも見直しとなった。
当初はオンボロの中古車を置く予定だったのだが、パルサーでのトラブルを契機に新車購入となり、クルマを雨ざらしにはできない、という考えからだ。
カーポートには新たにポリカーボネートの屋根、カーテンゲートが設置された。
そして、いよいよ我が家に新車がやってきた。
トヨタコロナT170型(前期)だ。
父による見積の見直しにより、パワーウインドーなどの快適装備は外されていた。
このクルマが実質、実家の自家用車1号になった。
よし、これで好きなだけ助手席に座ってドライブに出かけられると思ったが、その助手席には多くの場合、父が座った。
不貞腐れて右側の後部座席から母の肩越しに運転席を眺めることが多かった。
その際の後部座席はFFレイアウトで広かったことを覚えている。
このクルマで、地元のデパート、遠くの遊園地や近くの公園などいろいろなところへ出かけた。
長年、ペーパードライバーだった父も、いつのまにか自分で運転していた。
そんな平日のある日、学校から帰るとカーポートにクルマはないのに、母が家にいた。
父が会社へクルマで出かけることはない。
母は少し落ち込んでいたが、どうしたの?と聞くとなぜか機嫌が悪い。
その後、父が帰ってきて、クルマをぶつけて、修理工場送りになったことを打ち明け、一悶着となった。
トヨタコロナの前部がめちゃめちゃに壊れたらしい。
数週間後、何事もなかったようにトヨタコロナは帰還した。
その後は大きな事故や故障もなく、我が家の重要な足の一つとして活躍した。
しかし、3年目の車検時にトヨタコロナとは別れを告げることになる。