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青椒肉絲のクルマ遍歴0

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私の実家には私が小学校高学年に上がる頃まで自家用車がなかった。

別に不便ではなかったし、どうしても必要なこともなかった。

ただ、おばの家には自家用車があり、いつもあちこちに出かけていて、おじの運転で助手席に座って車窓を眺めるのは電車とは違い、スリルや征服感のようなもの感じ、下車後、母に自家用車の導入をせまったりした。

あるとき、原付バイクで怪我をした母が、自動車学校へ通うと言い出した。

「2輪だからコケたりぶつかったりする。4輪なら大丈夫。」とか、そんなことを言っていた様に記憶している。

その他にも、当時母の母(祖母)の足がだんだん悪くなってきており、通院や買い物の送迎のたびにおじの手を借りるのが煩わしかった様だ。

自動車学校へ通い始めてしばらくして、実家の改築計画がにわかに動き出した。

長年、自家用車がなかった実家はガレージがなかったのだ。

大人しくガレージだけ作れば良いものを、家の増築までセットで行うことになったのだ。

父は免許を持っていたのだが、完全なペーパードライバーで自身が運転する気は全くなかった。

原付バイクで事故る母が自動車を運転することには不安があったが、私も気軽に助手席に乗って車窓を楽しめるのであればそれはそれで良いと思った。

家の工事が進み、母の教習所通いもまあまあな速度で進んでいった。

結局、増築の方が早く終わった。

ガレージはコンクリート打ちっぱなしでゲートもなかった。

この殺風景なガレージにやってきたのが、我が家での初めてのクルマになった。

それは、日産パルサーN12型系という車種だ。

実家の増改築は90年代に入るかどうかだったので、このパルサー自体は型落ち車種だった。

母の友人の旦那さんが勤めている会社が清算することになり放出された営業車を安価で購入したのだ。

フロントドア側面の社名を皆でやすりがけをして消した。

所々、やすりをかけ過ぎて塗装がない部分ができてしまったが、私には誇らしかった。

夏休みのラジオ体操をしていると母が練習がてら試運転をしているのが見えた。

が、なかなか乗車の機会が回ってこない。

実は、このクルマに私は1回しか乗ったことがない。

最初で最後の乗車は母とおば、私で試運転に付き合うと言うものだった。

なんでも母と張り合うおばはこの時までに運転免許を獲得していた。

マニュアル車のパルサーは順調に走っていた。

しかし、坂道で止まり、再度スタートをしようとするとエンストしてしまう。

母が何度やってもエンストするので、

「ねーちゃん、坂道発進もできないの?」のようなことを言いながら、おばが替わった。

が、やはりエンストし発進できない。

最後は母がなんとか発進させたが、これではどうにも頼りないと言うことになり、念のため近くのガソリンスタンドへこのパルサーを持ち込むことになった。

結果、クラッチが磨耗していてギアが入りにくい状態、坂道発進は難しいだろう、と言うことだった。

修理となると大変な金額になってしまう。

意図していたのかはわからないが、母はスクラップ同然のクルマを買ってしまったのだ

私は坂道発進の後、家の前で降ろされ、パルサーの乗車はこれで最後となった。

パルサーはスクラップ工場に送られた。

クルマを紹介してくれた母の友人ともそれから疎遠になった。

喜びと共にやってきた初めてクルマとは、切ない別れとなった。

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