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秋刀魚の味 (映画レビュー)

この作品は小津安二郎監督の最後の作品である。

これを観始めたのは学生時代からだから、かれこれ20年以上は観ていることになる。

最初は、大学の図書館だった。

元々私は黒澤明が好きだった。それが大学の講義で東京物語に出会い、小津映画を観るようになった。

秋刀魚の味はかれこれ何回観ただろうか。

ここ数ヶ月はほぼ毎月1回は観ている。

20年以上観ているといっても、最近のように毎月ひたすら観ていたわけではない。

毎月観るようになったのは、テレビにネット受信の装置を設置してからだ。

当初はフールーで観ていた。

フールーよりもネットフリックスの方が安いことがわかり、ネットフリックスに乗り換えてからしばらくは、小津映画はご無沙汰だった。

ネットフリックスで小津映画の掲載がなかったからか、私の探し方が悪かったからか、それは分からないが、ネットフリックスにも小津映画が表示され、それが以後、フールーで観ていた秋刀魚の味が、私のヘビーローテーションとして復活した。

 

 ストーリーは、適齢期を迎えた娘(岩下志麻)と父(笠智衆)と周辺の家族や友人が織りなす物語、といったところだ。

適齢期、なんて今だと死語だし、間違った場所で使うとセクハラになりかねない。

劇中のセリフ回しは全く古臭いというか、時代の違いをもろに感じる。

例えば、職場でのやりとりでこのようなものがある。

父「君、ご亭主なにされてるの?」

部下「いえ、わたくし、まだなんでございます。父と暮らしておりまして。」

父「君、いくつだったかな?」

部下「し(24歳)でございます」

父「じゃ、もうそろそろだね」

なんて、今なら卒倒しそうなやりとりがある。

セクハラだけではなく、小津映画には戦争の時代がいかに嫌だったか、ということを表す、変わらないセリフが登場する。

「(戦争中は)馬鹿な奴が威張っていた(ので嫌だった)」だ。

本作では、東野英治郎演じる元恩師が営む中華料理店に父が訪問した際にばったり再会した加藤大介演じる元部下(元水兵)と、岸田京子演じるマダムがいるトリスバーでのやり取りで登場する。

駆逐艦の艦長だった父に元水兵は訊ねる。

元水兵「ねえ艦長、日本はなんで負けたんですか?」

父「さあ、ねえ」

元水兵「おかげでこっちは苦労しましたよ・・・」

途中略

父「でも、負けてよかったじゃないか」

元水兵「そうですかねえ、うーん、そうかも知れねえな。馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね。艦長、あんたのこっちゃありませんよ、あんたは別だ」

父「いやいやぁ」

多少、小津映画に対する造詣があればすぐにわかるシーンだ。

本作では、戦争までの権威である旧制高校の国語教師が電車の中で網棚に置いてある新聞を読む妙な老人(街の中華料理店主)になり、

その国語教師にイビられていた生徒が戦後、商社で運転手付きの重役(父の友人)に出世したり、大学教授(父の友人)になっていたりする。

優等生だった父は海軍兵学校に進み、駆逐艦の艦長(士官)にまで出世する。

この映画の設定はおそらく昭和30年代中盤で、父は初老で恩師も存命とすると、この段階で父は55歳か少し上くらいと想像できる。

55歳より上なら、重役だろう。

昔はサラリーマンの定年は55歳だったので、サラリーマンでは退職済みとなる。

戦時中、それも駆逐艦が活動できていた時期(昭和19年頃まで)に艦長だったということは40歳頃には士官(少佐か中佐)に出世していたことになる。

つまり、この父も元恩師同様に戦争の頃までいばり散らしていた方にいたことになる。

なので、元水兵はわざわざ「あんたは別だ」と否定している。

父は戦後、今の勤務先である工場で個室(デスクと応接セット付き)が与えられる重役に収まっている。

先ほどのトリスバーで父が佐田啓二演じる息子と会話しているシーンが登場する。

食事がまだだった息子はここでチャーハンを食べている。

もう何十回も観たシーンだが、昨日、ふと気づいた。

私は昨夜、画面で彼らが飲んでいるのとは別の国産ウィスキーをちびりちびりやりつつ、セリフを口の中で呟きながら観ていた時だ。

そこでハッとした、このチャーハン、元恩師の店のものではないか。

仔細は省くが、このトリスバーと件の中華料理店は近いところにある。

その店のチャーハンを息子(佐田啓二)は、旨そうでもなく、不味そうでもなく食べているのだ。

戦争までの権威を何の気なしに戦後の新世代が平らげる構図に見えた。

 

気づけば平成が終わり、令和になった。

昭和はもう手の届かない遠くにいった気もする。

令和からの眺めだと昭和は一つに見える。

だが、昭和は昭和でも「まえ」と「あと」の昭和があるのだ、

小津は戦後に製作した作品群で昭和を「まえ」と「あと」に区別しているように感じた。