#主に購読用のブログ

#主に購読用の買い物と旅行、主に購読用的な生活について書きます。

終戦とジャンボ機墜落について

f:id:Greenpepper:20200815100655j:plain

今日は終戦記念日だ。

毎年言っていることだが、戦没者を追悼し平和を祈念する日だ。

https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002h59g-att/2r9852000002h5ax.pdf

これは、閣議で決まっているので、政府機関で今日を終戦「記念日」とは言わない。

なので、今日は戦争に負けた(敗戦)でもなければ、戦争が終わった(終戦)の日ではない訳だ。少なくとも政府内では。

もちろん、ポツダム宣言受諾と終戦詔勅が発せられ、それが玉音放送によって国民に知らされ、戦争が終了した日であることは今のところ、常識だし、メディアは終戦記念日終戦の日と伝えるのが一般的のようだ。

 

話は変わるが、先日、日本航空123便が復活した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ddab776aea15e65598c0ff8ff28925a9d636e59

永久欠番である123便を地上移動時に設定しなければならない任意の数字として、普段なら「1111」や「9999」としているところを「0123」と設定してしまった単純ミスだそうだ。

あの事故の悲惨さを認識していれば、このような便名を設定しないだろうし、もし設定したら世の中の反応がどうなるかわかりそうなものだ、という考えもある。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a481813504ab5c80ae50ca78267ce07511bb41f6

しかし、実際の日本航空において群馬県御巣鷹山にジャンボ機が墜落した時代にも在籍していた社員が3.5%ほどしか残っていないそうだ。

ほとんどの社員はジャンボが500人以上の人ともに群馬県の山に落ちたことを体感していない。

既にボーイング747型機は国内航空会社では貨物機のみで旅客機は政府専用機の退役を最後になくなった。

墜落したジャンボ機に乗っていた坂本九を知っている人も少なくなっているだろう。

坂本九のヒット曲を作曲、作詞した中村八大も永六輔も既に亡くなっている。

阪神タイガースは35年前に日本一に輝いた。(リーグ優勝ではない。)

球団社長の中埜氏がこの便に乗っていた。

阪神タイガースはあの年以来、日本一になっていない。

話が逸れてしまった。

この日本航空の事例は、

事件を知っている世代の「常識」が後の世代の人たちが増え、その人たちの「常識」で薄められ、以前ならおかしい、ありえない、となっていたことも「常識」的にまかり通るということだ。

123便を設定した人は、1111、1234や9999と同じ感覚で0123と設定したのだろう。

私が気になったのは、3.5%という数字だ。

ここで、終戦記念日に戻る。

戦争が終わって今年で75年が経った。

仮に、戦争に参加したであろう当時20歳以上の人が95歳以上、

あの時期に物心が付いていたであろう当時10歳以上の人が85歳以上、とする。

昨年の総務省資料だが、日本の人口に占める割合で、85歳以上の人が4.5%、95歳以上の人は0.4%だ。

https://www.stat.go.jp/data/topics/pdf/topics121.pdf

戦争が戦争であり、日本が負けた日を体験した人は10人に1人もいない。

海外で戦争やテロの犠牲になった日本人は、おられる。

しかし、もう日本には、戦地に赴いて戦った人は100人に1人もいない。

前の戦争以来、日本は戦争をしていない。

日本航空での123便事案を見て、事故の風化が云々など論調を見るが、そのような珍事を笑えるほど、世の中は気楽ではないと感じている。

最近では、日米の軍事同盟やイージス・アショアの話題に続き、「敵地攻撃能力」という言葉が出てきている。

相手を敵と定義し攻撃する段階で戦争ではないか、と感じる部分を

能力、という言葉でうまく意味合いを薄めているような気がする。

いま、海上自衛隊防衛省設置法4条に基づく「調査・研究」を根拠にアラビア海付近に派遣されている。

調査と研究のための情報収集活動のために、護衛艦と対潜哨戒機を常時展開している。

要するに、軍事行動ではないということだ。

しかし、これは明白な「作戦」行動ではある。

その目的を果たすため、新たな部隊を設け、それを派遣し特定の域内で行動せしめ、てる以上は作戦であり、部隊を派遣(行動)するからだ。

この研究と聞いて、ピンと来る人は軍人か軍事マニアかその他のオタクだろう。

戦時中にもこの「研究」で部隊が海外で行動していた。

それが、リ号研究作戦、別名ポートモレスビー作戦だ。

これは、検索したら色々な論調が見られるので試して欲しい。

陸軍が部隊を新設し、南方(これも死語か)のニューギニア島まで出かけて、研究するという作戦だ。研究なので、必要に応じて攻撃、また継続が難しい場合は撤退してよし、となっていた。

先方(連合軍)が、研究で来られたのならまあお手柔らかに、と言うことにはならないだろう。

日本軍はこの「研究」により、投入した戦力の6割にあたる6,500名の将兵を犠牲にしている。

まさに命がけの研究だった訳だ。

アラビア海への「研究」派遣と成田空港での「123便」出現を同一視しようとしているつもりはないのだが、「123便」への反応に比べて、この「研究」への反応薄は気になる。

私が見ている範囲でマスコミの論調や解説で、このリ号研究を引き合いに出すものはなかった。

私自身、そもそも、防衛省設置法に調査・研究なんて条文が亡霊のように残っていて、通常の日本沿岸での活動の根拠になっているのは、今回の派遣まで知らなかった。

御巣鷹を忘れつつある日本航空同様に、我々日本人も、戦争をやっていたこと、負けたことを忘れていくのだろうか。

今年も、戦没者を追悼し平和を祈念する日にだけふと考え込んでしまう。