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高校時代の主に購読用(読むの退屈だよ)

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元々はそんなに勉強は好きではない。

読書は昔から好きだった。

新聞や雑誌以外で文庫本や新書本なら、週に1.2冊は読んでいた。

これに新聞(2紙)と雑誌(週刊誌と月刊誌)が加わる。

先生、と呼ばれる職業の人は基本的に信用していない。

医者、弁護士、会計士、政治家・・・、どれも信用してない。

この先生不信は、学生時代に定着した。

学校の先生に対してだ。

大学教授なんて、資格すら必要ない。

が、大学の先生にはさほど不信感は高くなかった。(なかったわけではない)

大学の先生は彼らなりに自身の職業の不安定さや怪しみ、学生との線引き(違い)へ葛藤を持っていた。

私の母校はある意味で専門大学なので、特にその傾向があったのかもしれない。

その分野で名を成すと先生も学生もないという現実があったし、

実際にそういう「下克上」を目の当たりにした。

小学校と高校の時は、教室よりも用務員室にいる時間が長かった。

中学の時は、用務員さんが地主の金持ちで気軽に立ち寄る雰囲気ではなかった。

それが災いしたかはわからないが、中学時代の生活は荒れていた。

それは別に触れると思う。

用務員室で、用務員さんとテレビを観ながら時事問題の話をしていると、職員室の居心地が悪い先生がわらわらと立ち寄ってくる。

小学校の時は、多少注意じみたことも言われたが、高校ではそういうこともなく、用務員さん、先生を交えて、世間話をしたものだ。

先生の愚痴や、職員室の人間関係、先生たちが抱えている家庭の問題など、用務員さんから聞いたりもした。

用務員室以外の先生との交流で言うと、数学や理科の先生とは仲が良かった。

数学や理科の先生は、元校長や元教頭先生が多かった

私立でそんなに頭が良い学校ではなかったからか、高齢の非常勤講師が多かったように思う。

ある時、その高齢の数学の先生が心臓発作で学校に来なくなってしまった。

1ヶ月ほど、数学の授業は「自習」になった、と思う。

進学校なら親からクレームが来そうだが、親には内緒にしとけよ、という雰囲気が醸成されたような気がする。

1ヶ月ほどして、新しい数学の先生が着任したが、その「後任」の先生もおじいちゃん先生だった。

その先生とは文通まですることになった。

家もそこそこ近所でIT技術や経済の話で盛り上がったように思う。

進級して数学の授業がなくなったのか次の先生が着任したかはすっかり忘れてしまったが、数学先生との交友は1年ほどで終わった。

その先生はしばらくして亡くなった。

今から考えると、近所なので葬式でもありそうなものだが、そういう類のものには、呼ばれなかった。

孤独死だったのだ。

後から聞いた話だが、株式投資で失敗し、奥さんに見放され熟年離婚をし、近所の自宅も手放して、最後は公営住宅に住んでいたそうだ。

もう一人の仲良しだった理科の先生とは、ノートを貸す仲だった。

その先生は私がまじめにノートをつけているのをみて、私のノートを基に板書するようになった。授業が終わると次の授業まで私のノートを借りていくのだ。

「おい、青椒。ノート貸してくれや」

といって、ノートを借りていかれた。

私は昔からメモ魔の方で、何でもかんでもメモにするのだが、

これでは、予習も復習もない。

この先生は1学期か2学期の終わりに退職された。

あとで、用務員室で聞いた話では、授業中にトイレに行った生徒が喫煙し、それを別の先生に見つかったそうだ。

生徒を監督できなかったことに責任を感じての退職だったそうだ。

元々、荒れた学校だったのでそんなに責任を感じる必要はないと思ったが、校長先生まで歴任した教育者としては退職ということで責任を取るしかなかった、というのが用務員さんの解説だった。

他にも色々と先生の話はあるのだが、極め付けは、公民(社会科)の先生との闘いだろう。

公民の先生とはライバルだった。

進学校ではなかったが、私は社会科だけなら県内随一の成績だった。

(模擬試験では県内10位以内が指定席だった)

中間・期末のテストは、公民の先生との勝負だった。

最初の方、100点満点ばかりでつまらない、と先生に言ったことがあった。

先生の闘争心に火がついたのか、いくら私でも90点前後しか取れなくなった。

私以外は普通の高校生だから、みんなたまったものではない。もともと70点そこそこだったのが、50点そこそこになってしまった。

高校3年生の3学期は祖母の葬式のため、テストに出られなかった。

進路は決まっていたので見なしで成績はつけられたのだが、同級生には、お前のせいで試験が難しすぎる、とよくこぼされた。

そんな風な暮らしをしていたので、高校2年頃になると、若手の先生からは敬語で話しかけられるようになった。

その辺の不良よりもよっぽど怖かったのかもしれない。

私は、そう言った先生の二面性というか多面性を身近に見て、

そこで無意識のうちに先生と呼ばれる人への尊敬、恐れのようなものが薄れていった。

今では、先生や社長、日本で初めての取り組みをする航空会社やスカイトラックなどの権威や地位には全く興味を持たなくなってしまった。

仕事でも、肩書きではなく給料のみに興味を持っている。

社内では平社員で通している。